06 11 / 2011

10/28-29 南三陸町歌津伊里前

masamichiito:

レーベン号はボランティアとしての僕にとって、いつのまにかホームとも呼べる大事な存在になった。たぶんその位置付けはこれからも変わることはないと思う。尊敬すべきレーベン社長や3.11がなければ絶対出会うこともなかっただろう不思議で素敵な仲間達とも出会えた。毎週、世代を超えた新しい仲間も増えてきている。レーベン号の延べ乗車数は1,200人を超え、参加者で作っているコミュニティーはすでに125人を突破した。ボランティアだけではなく、被災地で頑張っている人達ともずいぶん繋がった。震災を機にたくさんの人の人生が変わってしまった2011年は間違いなく不幸な年だ。でも、こんなに人との出会いの多い年もない。そしてこんなに喜怒哀楽の感覚を刺激された年もなかった。少し涙もろくなった。よく周りの人から「毎週、大変ですね」と言われる。でも全然大変だとは思わないし、行きたくないと思ったことはない。週末になると自然に東北に居る。大きな使命感や正義感ではなく、「お互い様」「ちょっと一緒に片付けようか」くらいの気持ちで動いているのが丁度いいのかもしれない。

たぶん今後もそんな風に色んな人に出会いながらレーベン号にお世話になっていくんだと思うけれど、時々「慣れ」過ぎることに対する危機感を感じることがある。知らず知らずのうちに被災地ボランティアに慣れてしまいニュートラルな感覚がすり減ってしまったり、団体ボランティアとしての物の見方が当たり前になってしまっている自分に気づき、ハッとすることがある。慣れは傲慢さを生み、感覚を鈍らせる。時折、「お前、調子に乗ってないか?」と自分に問いかける必要がある。そんな時は少しルーティーンからはずれて個人としての感覚で土地や人や空気に触れる時間を持つようにしている。10月末はちょうどそんな気持ちの周期に当たっていた。個人的に11月から仕事が忙しくなるので、何日か休みをとってゆっくり自分の目で、耳で被災地の今を感じたいと思った。とすればここしかないというタイミングだった。リーダーがバスに乗らないことで少しレーベン隊の仲間に迷惑をかけるかもしれなかったが、幸か不幸か僕がいなくてもバスはちゃんと走るし、リーダーの代役は何人でもいる。歩き続けるために自分にとって必要な休憩だと思うことにした。

自家用車で牡鹿半島、石巻、南三陸町、気仙沼、陸前高田を周り、いつもは行けない場所を少しゆっくりしたペースで歩き、人と会い、海を眺めた。相変わらずの瓦礫と壊れてしまった街並みを見るとやるせなくなったけれど、少しだけいつもと違う空気を感じることができた。住田基地では地元の方と鍋を囲み、高田や大船渡の話をした。終わりかけの紅葉ときれいな星空を眺め、少し冷たい秋の空気に触れた。不謹慎かもしれないけれど、得るものの多い旅だった。

そんな旅の途中である南三陸の農家の方と知り合った。その方の事を少し書こうと思う。

宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前という所にとても気になる家があった。

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気になる家というよりも、気になったのは看板の方だった。

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45号線を北上しながら歌津伊里前漁港一帯の崩れ落ちたバイパスを過ぎたあたり、伊里前小学校へ向かう坂の登り口にCさんの家はあった。車で通り過ぎる ほんの数秒間に、「ボランティア募集 1分-何時間でも…」という文字が目に飛び込んで来た。不思議な違和感を感じて、思わず車を止めた。深呼吸してから、同乗の2人と顔を見合わせた。

「行こう!」

そう言ってその民家に向かった。引き寄せられるという感覚に近かった。

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Cさんに自己紹介し、毎週ボランティアに来ていること、看板を見て話を聞きたいと思い伺ったことを伝えると、心よく応じてくれた。築70年の素晴らしい古民家だった。1階部分はすべて津波被害を受けたが、立派な古い家は強い基礎と太い梁に守られて倒れずに残った。半壊のように見えるが実は家の一部が傾き道路に少しはみだしている。それ故、行政の判断は全壊。取り壊すことになった。

Cさんは堰を切ったように話し始めた。あの日のこと。そして今日までのこと。今は平成の森仮設住宅に暮らしていて、毎日ここにきて片付けをしていること。これからの生活再建に不安を抱えていること。ボラセンには何度もボランティアに手伝って欲しいとお願いしたが、崩れる危険のある家にはボランティアは送れないというのが答だったという。家族で家の物を運び出し、ブルーシートで覆った。時おり通りかかる個人ボランティアの力を借りてすこしづつ片付けた。看板の文字もボランティアの女性が描いてくれたそうだ。おばあちゃんは疲れから10kg痩せてしまったという。Cさんの言葉を通して心の叫びみたいなものが妙な迫力を持って伝わってきた。彼女の必死さが胸に迫ってきた。

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家の中も外もまだまだ片付いていない。草も伸び放題だった。少し離れたところに田圃と畑があるらしいが、まったく手入れできていないという。来年田圃を やりたいがこのままではとても準備が間に合わない。おじいちゃんはわかめ漁師だったが、船は壊れ、船外機も流されたという。本来なら今が種付けの時期だが、高齢 であることもあり、再開するかどうか迷っているとのこと。気持ちの問題が大きいのかもしれない。

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レーベン号での活動はVC(ボラセン)を通したニーズのお手伝いだ。ボラセンが危険さ故にボランティアを派遣できない場所があることは知っていたし、そういう場所に 個人ボランティアが入って活動していることも気になっていた。個人的には応援していたし、いつかは…と思いながら過ごしてきた。Cさんの話を聞いているうちに、自分が見て見ぬ振りをしてきたものの大きさに気がついた。知ってし まったという気持ちが少し胸を締め付けた。太い天井の梁やむき出しの土壁がとても愛おしく思えた。

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「何とかしなくちゃ….絶対何とかしよう….」そう思いながら、天井と土壁を交互に見ていた。時間的な制約から、この日は一旦引き揚げることにし、Cさんにお礼を言って家を出た。「帰ってボランティアのみんなに声をかけ、出直してきます」と伝えたが、心の中はもう決まっていた。

「明日、来よう。」

一緒にいた二人も同じ気持ちだったようだ。

明日の陸前高田でのレーベン号との合流を頭に描きながら、やるべきこと、説明すべきこと、理解してもらうべき人を整理して並べた。今回はいつも2号車のリーダーを務めてくれている中野さんが僕の代わりに1号車のリーダーをやってくれていたのが幸いだった。筋を通せば1を聞いて10を理解してくれる人だ。マッチングと活動現場でのセッティングまでをお手伝いして、南三陸に来ることを決めた。

翌日、レーベン号と陸前高田のボラセンで一旦合流し、マッチングやオリエンテーションをこなし、レーベン隊の活動現場に向かった。活動場所、トイレと避難経路の確認、作業手順を説明し、作業を少し手伝ったところで場を辞した。かなりハードな作業なので少し後ろ髪を引かれたが、気持ちは「一刻も早く南三陸へ」だった。中野さんに任せておけば大丈夫。頼りになるリピーターが何人もいたし、レーベンだけでなく他の団体でも活動しているベテランボランティアもいたので、心配はなかった。レーベン号から草刈り機を借り、鎌とスコップを持って歌津に向かった。

途中でCさんに電話をして、これから行く旨を伝えるととても喜んでくれた。車をCさん宅の隣の基礎だけになった家の跡地に停めさせてもらい、Cさんにどの作業を優先させるかを相談した。希望は家の庭の伸びきった草刈りだった。草刈り機がないとできないのと、田圃や畑の草刈りは後日でも大丈夫だと判断したからだ。家の庭には伸びきった雑草に交じってコスモスや菊などの花が植えられていた。Cさんは申し訳なさそうに「花は残して下さい」と言った。「了解」と元気に答えて作業にかかった。途中、休憩時には家の中の土間で飲み物をごちそうになり、話を伺った。「来年もボランティアはやるんですか?」と聞かれた。「?」何故だろうと思いながら「はい、ずっとやります」と答える。「田圃をどうしようか迷っています。やりたいけど手が足りないし…準備も間に合わない..」いい加減なことは言いたくなかったので、即答はしなかったけれど、「田植えまでにやるべきことのスケジュールが決まったら教えて下さい。みんなに声をかけてみます。」とだけ答えた。

でも、心は決まっている。

「あ~いつもの悪い癖だな~。走り出したら止まらないんだよな。どうやって折り合いをつけるかな~」お茶を飲みながらそんなことを考えていた。それにしても本当に助けが必要な所に支援の手が届かないのはどうしてだろう。

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道路を挟んだ向かい側にCさん所有の杉林があった。津波による塩害で茶色に変色しているものが何本もあった。その杉も伐採したいとのこと。

「チェーンソーかな…」

あいつならできそうだと何人かの顔が浮かんだ。

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作業が一段落つき、庭がきれいになったとCさんは喜んでくれた。笑顔があった。僕等の服についた草の実を気にかけてくれた。「これじゃ草の実を取るほうが草刈より時間がかかるね」と言って、みんなで笑った。この家に次のボランティアが来るのはいつだろう。少し切ない想いで挨拶をした。おばあちゃんも笑顔で送ってくれた。「また、来ます」そう言って別れた。たいしたとはできなかった。これからCさんのために何ができるだろう。ぼんやりととりとめのないことを考えながら車に乗り込んだ。

本来、自分の心の中をさらけ出すのはあまり好きではないし、不特定多数の人に何かを呼び掛けるのも苦手だ。でも、今回はCさんの事を一人でもたくさんの人に知ってもらい、その中の何人かでもお手伝いに行ってくれたら、という思いでこの文を書くことにした。もし45号線の南三陸歌津近辺を走ることがあって、時間が許すなら、伊里前小と歌津中入口の倒れた看板のところにあるこの民家に行って、是非、手を貸してあげて欲しい。30分でも1時間でもいい。「忘れてないよ」って伝えてほしい。遠くにいて手伝いに行けない人は、せめて忘れないでいて欲しい。8か月近く経っても生活再建の目途が立っていない人達がいることを、そして忘れないことが支援になることも。

僕もまた行きます。色々折り合いをつけて…..

それにしても、あの看板を書いてくれたボランティアは誰なんだろう? いつかお礼を言いたい。おかげで大事なものを見過ごさずにすんだ。

「どうもありがとう」

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