29 1 / 2012

"オレの名は「ジェイ・スクリプト」。20世紀最末期の「第一次ブラウザ戦争」でエース部隊に徴用され、最前線で殺戮を繰り広げた。オレたちに課せられた課題は重大だった。相手方ブラウザの殲滅。オレたちはマイクロソフト帝国の最新鋭上陸艦「IE4」に搭載され、次から次へとコードを実行した。戦いは熾烈を極めた。オレたちはどんな汚いコードでも動いた。カーソルをクマさんに変える。アイコンを点滅させる。今日のお知らせをポップアップさせる。世界時計をスクロール表示させる。それが果たして本当にそのウェブページに必要なユーザビリティなのかを問うこともなかった。しかしいつしかオレたちは気づいた。敵艦「NN4」に搭載されているのもオレたちとまったく同じスクリプトなのだと。やがてオレたちが属する帝国が領土のほぼ九割を制圧するに至り、戦争は膠着状態にはいった。敵国は壊滅されたかに見えたが、やがて「ファウンデーション」の支援を受けた「Mozilla」と名乗る組織が活動を開始し、戦線はゲリラ戦へと移行した。そこでオレたちが目にしたものは、累々たる「ウェブ標準」の屍だった。HTML空間は捻じ曲がり、CSSはズタズタに引き裂かれた。ウェブデザインはブラウザのバグ調査と同義となっていた。オレたちスクリプトはSPAM広告と詐欺サイトの温床と罵られ、ウェブ標準の敵として機能停止させられる場面も多くなった。オレたちは傭兵となり、戦える場所を求めて転戦に転戦を重ねた。いつしかオレたちは、あるウワサを耳にするようになった。第三勢力「ウェブツー・オー」が最新鋭部隊「AJAX」の要員を募集している。そこではランチとスナックが食べ放題らしい。しかしオレたちを刺激したのはそんな待遇面ばかりではない。そこではオレたちスクリプトに、プログラミング言語として「ふさわしい」仕事を用意しているという。オレのかつての同僚が「メールクライアント」を丸々まかせられたと聞いたときには耳を疑った。ひたすらポップアップ画面を点滅させていたあのウスノロがだ。いったいこのブラウザの地で何が起きているというのか?そしてオレもまた曳かれるように断続的に局地戦が続く「SHIBUYA」の地へと赴いた。それはあの血を血で洗う「ちょろめ作戦」発動直前のことだった…"

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29 1 / 2012

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「価値決定」をリードすべきなのは、人文科学です。自然科学はあれだけ慎重に丁寧に大量に情報を公開してくれたし、し続けてもいるのだから、任務は十分に全うしている。どう読み、どう判断するかは、私たちの仕事。数学的厳密さを規範とする「証明」とは別の手続きで「価値決定」をする必要がある。

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27 1 / 2012

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27 1 / 2012

"福島県民「ぼく電気作るところの人、被爆する人」
東京都民「ぼく電気使う人、ちょっとした線量で騒ぐ人」"

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27 1 / 2012

"Google is finally putting an end to the menu button which has probably been one of Android’s biggest downsides UI wise. They are telling developers to stop thinking of those actions that used to be there inside the menu button, and instead use the most important ones in the “action bar” that’s in Android 4.0+, or even implement them inside the app, as many iOS developers have already done on their iOS apps, and other Android developers have done it, too."

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27 1 / 2012

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ガウディは「逆さ吊り模型」(フニクラ・モデル)と呼ばれる縮尺模型によって、カテナリーによる建築の構造とかたちを決める方法を探求した。天井から吊るした細いひもに、石にかかる力に見立てた砂袋を無数につけ、砂袋の位置や重さを調整しながら自然に生成するかたちを探している。このような方法はより一般的にはフォーム・ファインディング(form finding)と呼ばれる。ガウディのフニクラ・モデルはフォーム・ファインディングの象徴と言える。フォーム・ファインディングの注目すべき点は、かたちをデザインすること、構造を計算すること、さらに最適化された構造を求めることを、模型を作る行為が同時に行うことである。この特徴は慣習的な建築の作り方、つまり建築をデザインする行為と、構造の計算をする行為が分離した方法と比較するとその違いがすぐに分かる。建築家がかたちのデザインをすることと、そのデザインに沿って構造家が構造計算をすることを、ひとつの模型を作ることで統合(インテグレート)しているのだ。しかしこの統合はそこにとどまらない。なぜならその模型には自然の力、重力が常に存在しているからだ。デザインのプロセスに自然が取り込まれていると言える。

ガウディが最初にこの方法を探求し始めたグエル教会(1898–1916)のプロジェクトでは、フニクラ・モデルの挙動を科学的に把握しそれをデザインの道具として最終的な教会のかたちを決めることができるようにその方法を開発するまでに10年かかったと言われている。約100年前の話である。サグラダ・ファミリア教会地下の展示室にガウディのフニクラ・モデルが再現されている。この模型を見るだけで、その10年がどういうものであったか少しは想像ができる。ひとつひとつの砂袋を付け替えひとつのかたちを試し、さらに砂袋の位置を調整する、この作業を繰り返すのである。ガウディは自然にインスピレーションを受け続けた建築家である。自然のかたちを科学的視点で応用するバイオミメティカルな方法を建築のデザインにおいて実践した始祖のひとりと言える。それを考えるとこの膨大な時間をかけた作業は必然であったとも言える。それは自然はかたちの最適化をどのように行うのかを考えれば分かる。遺伝子を使った長期にわたる実地テスト、トライ・アンド・エラーである。生殖と突然変異によって、似てはいるがほんの少しづつ異なる形質を発現する遺伝子による情報伝達と発現の仕組みを造り、発現されたかたちの実地テストによって、環境に順応するかたちだけが生存できるようにする。ガウディはそのような自然の最適化プロセスを無数の砂袋の位置を変え続けることで実践していた。

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27 1 / 2012

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目の前のロープの両端を掴み、そっと持ち上げてみる。そのロープのかたちはカテナリーと呼ばれる。地球上のどんな物体もそれが充分にロープのようにフレキシブルであれば、かならずカテナリーのかたちをとる。むしろカテナリーのかたちで安定すると捉えるのがいいかもしれない。なぜならカテナリーは物体の内部で働いている力と外から働いている力–この場合は私たちの手の力と重力–が平衡している状態だからだ。ロープを持ち上げた瞬間、それは微妙に弛む。ロープの切片どうしがまだ押し合っている、つまり切片どうしに圧縮力が働いている。しかし次の瞬間に弛みはとれ、カテナリーに落ち着く。このとき切片どうしはただ引っ張り合っている、つまりロープの内部には引張り力以外の力は無い。純粋にテンションだけがつくるかたち、それがカテナリーである。

カテナリーのこの特徴は、自然が最小限の物質で世界を造るのにとても好都合である。なぜなら圧縮力のかかるかたちは太く、多くの物質を必要とするのに対して、引張り力だけで成立しているかたちは細くなれる、つまり物質を最小限にしか消費しないからだ。これはロープをもって両端から押してみればすぐに分かる。ロープはすぐ曲がってしまう。曲がらないためにはどうすれば良いか。ロープを束ねる、つまり太くするのがひとつの解法だろう。圧縮力のかかる物体はこの曲がる力にも耐えなければならないために太く短い必要があるのだ。それに対して引張り力だけがかかる物体には曲がる力が生じないために、細くなれる。くもの巣がはなぜ細い糸でそのかたちを保つことができるのか。その理由のひとつはそれがテンションのみで成立するかたちだからだと言える。つまり最も少ない物質量で最も大きな面積をカバーする(そして獲物を捕らえる)構造と言える。それゆえテンションだけがつくるかたち–カテナリーも全く同じ理由で、自然界において最も経済的な曲線だと言える。

人工物の世界においても古くからカテナリーは探求されてきた。面白いのはその探求の場が主に建築のドームやアーチであったことである。垂れ下がったロープを上下逆転して探求されてきたのである。重力に物体が引っ張られたかたちがカテナリーであるのに、重力に逆らって建ち上がるためのかたちの探求にカテナリーがなにができるのか。このことを最も象徴的に印象づけるのはガウディの建築構造における研究だろうと思う。重力によって垂れ下がったロープを上下逆さまにすると、ロープに外から働く力、重力の向きが逆向きになるから、ロープの内部で働く力の向きも逆向きになる。つまりロープの中では圧縮力だけが働くことになる。もちろんこれは想像上の話であって、ロープは例えばレジンで固めるなど何らかの方策をとられなければふにゃふにゃとそのかたちを崩す。しかし、もしロープを固形化できれば、上下逆転したカテナリーのかたちには圧縮力しか働かない、つまりこのかたちを曲げる力は働かない。ヨーロッパにおいてドームやアーチの構造は石造であった。そしてその石は当然切り石であるので、それを積み上げたかたちは横からの力、曲げようとする力に弱い。それゆえ圧縮力しか持たない上下逆さまのカテナリーは、石造のかたちの最適解となる。もちろんこれは石造に限ったことではない。重力に逆らって建ち上がるかたちは、重力によって生じる圧縮力だけでなく、曲げる力にも耐えなければならない。それだけ余分に物質を必要とするということである。物質の消費を最小限にするために、カテナリーは効く。

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27 1 / 2012

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 テレビ東京は26日、東日本大震災で大きな被害を受けながら一日も欠かさず新聞発行を続けた河北新報(仙台市)の報道の舞台裏を描いたドラマ「それでも伝えたい…がれきの中の新聞社(仮題)」を3月4日夜に放送すると発表した。

 文芸春秋から出版された「河北新報のいちばん長い日」を基にドラマ化。同局系列の計6局で放送し、3月11日夜にはBSジャパンでも放送する。

 報道部長や女性記者、販売所を経営する一家の行動を軸に、未曽有の災害に直面した地元メディアの苦闘をつづる。

 ジャーナリストの池上彰氏がナビゲーターを務める。キャストは後日、発表される。

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27 1 / 2012

"●作った少年当時小6→今35歳避難生活
「原子力明るい未来のエネルギー」。24年前、小学6年生の少年はそう信じ、双葉町の標語コンクールに応募した。
標語は町の商店街の入り口に掲げられ、現在も残る。
少年はいま35歳になり、同町から直線距離で約450キロ離れた愛知県で避難生活を送る。
「明るい未来ではなかった」。悔しそうに言った。

○つかぬ気持ちの整理 「明るい未来」頑張る
福島第一原発から4キロの町中心部に自宅がある大沼勇治さん(35)は、6月20日に長男勇誠(ゆうせい)ちゃんを出産したばかりの妻せりなさん(36)と、愛知県安城市の県営住宅に避難している。

標語の看板はいまも、道路を横断して掲げられている。震災後、テレビや新聞で見るたびに複雑な感情がわく。
双葉町民に「うしろめたい気持ち」も感じる。

大沼さんの記憶では、小学6年生のときに町が募集し、学校で「原子力」の言葉を入れて1人3案ずつ応募した。
「原発の恩恵を受けて町が豊かになると疑わなかった」。学校では、原発を宣伝する施設の見学に行った。

大学進学と就職で双葉町を一時離れたが、29歳で帰郷し就職。実家は標語看板の近く。誇らしかった。

サラリーマンの傍ら、3年前に看板のすぐ脇にある母の土地に2階建て4世帯分のアパートを建てた。
町で初のオール電化アパートにしたのも、原発を意識したからだ。「2世帯は『原発さん』に貸した」。
福島原発で働く人を「原発さん」と呼ぶ。「東電がある限り、この町は大丈夫」と思った。

だが、3月11日に震災が発生。せりなさんと2人で南相馬市に逃げ、車の中で夜を明かした。翌日、会社のある相馬市にいるときに原発の水素爆発が起き、妊娠中のせりなさんが放射能の影響を受けないよう会津若松市の実家へ避難した。

さらに逃げようと、愛知県の親類と連絡をとり、3月末に安城市の県営団地へ。
生活用品は団地や近所の人が提供してくれた。
しばらくは双葉町に戻れないと覚悟し、当分はここで暮らすつもりだ。

会社を退職し、失業保険で生活費をまかなう。
そんな状況でも、アパート建設と自宅のローン1500万円が残る。
「原発さんがいたからアパート経営もできた。でも、原発事故のせいでアパートも捨てないといけない」


まだ気持ちの整理がつかず、新しい仕事を探すことはできない。
切り替えるためにも早く一時帰宅したい。
結婚式の写真や指輪を持ち帰り、故郷に別れを告げ、新天地でスタートを切ろうと考えている。

避難生活を送る故郷の人たち、生まれたばかりの我が子を思い、いまはこんな言葉が浮かぶ。
「頑張ろう明るい未来へ双葉町」
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27 1 / 2012

"ジャクソンポロックはAbstractExpressionism(抽象表現主義)と呼ばれる絵画運動の代表的な人になります。抽象表現主義は第二次世界大戦以降にアメリカを拠点におこった運動で、アートの中心地がヨーロッパからアメリカのニューヨークに移るきっかけになった重要な運動でもあります。ポロックの絵がなんであそこまで抽象的になって、ここまで有名になったのでしょう?

ポロックの絵は、美術歴史的にもかなり重要なのです。
カメラと映画は1800年代後半に普及し始めました。1910年代以降からHollywoodなどの誕生で、映画がとても人気になりました。そうすると、それまでリアルに見たものを書こうとしていたアーティストたちはとたんに何をしたらよいのかわからなくなったんだと思います。正確に物を写す技術は人間の手なんかよりも機械のほうが優れてますから。

そこでクレメント、グリーンバーグという、1940年代とても影響力を持った美術評論家がジャクソンポロックやほかの抽象表現画家をとても評価し、新しい美術の方向性を示した論文をいくつか書きました。
彼の論文を簡単にまとめると以下のような内容です。

1.アート(特に絵画)は、そのミディアムの特徴を追求するべき。絵画だったら、絵画の特徴である平面を追求したものを作り上げるべきだと考えました。
2.アートは結果より、プロセスを大事にしよう。
3.アートはアバンギャルド(おもに、彼にとって抽象絵画のことを言う)でなくてはいけなくて、抽象絵画じゃないもの(とりあえず具象絵画って呼ばせていただきます)は、Kistch(キッチュ)、(であってアートではない。
(ミディアム=彫刻、油絵、などの美術のカテゴリー)

彼の論文の中で頻繁にハイアートとローアートという単語が出てきます。簡単に言うとハイアートとは美術館でかざられるような”まじめ”なアートで、ローアートはKistch、宣伝なんかに使われている大衆向けの「アート」ようです。たとえばポスターや商品のラベル、漫画などです。さらにグリーンバーグは具象絵画はすべてキッチュとしたのでグリーンバーグの定義によれば、ダヴィンチの絵も具象絵画なのでローアートにいれられます。(日本はアメリカに比べて、歴史的な違いからにアートをそのようなのわけ方をするのはなじみがないかもしれません。)
グリーンバーグの論文はこのハイアート(抽象絵画主義に代表されるアート)に大衆向けアートいわゆるローアートをはっきりと区別する内容でした。

なぜグリーンバーグはそうまでしてハイアートとローアートをわけたがったのか?
それは、当時ロシアやナチスドイツがアートを使って政府の社会主義政策を宣伝していたためです。そういった社会主義国では、抽象絵画を禁止して社会主義リアリズムなどの「リアル」な表現の絵画を国の正式な美術のスタイルにしました。リアルな表現を使った絵画のほうが、すべての人に受け入れられやすくわかりやすいですよね?社会主義の、”平等”を唱える国家に最適のスタイルです。と同時に、政府が国民に伝えたいメッセージを伝える使われやすいスタイルでもあったのです。
スターリンやヒトラーを偉大な指導者のようにかいたり、愛国心をあおるような絵画をかいたり、そういった絵画は抽象的にはなかなかかけません。早く、簡潔に政府の伝えたいメッセージを国民に伝えるには具象表現があっていたのです。グリーンバーグは、アートだけはそういった政府の影響をうけない、アバンギャルドなものにしたかったのだと思います。抽象主義ならば、すべての人に理解されずらいスタイルなので政府にいいように使われないと考えました。だから抽象表現的なアート以外はアートとして認めなかったのです。



Boris Vladimirski,”Roses for Stalin”(スターリンに花束を) 1949

↑は社会主義リアリズムのスタイルで描かれた絵画です。子供たちが笑顔でスターリンに花束をわたすシーンです。この絵でスターリンは白い制服きちりと着て、とても清潔なイメージです。とても堂々として、先を見据えたようなたのもしい描かれ方をしています。スターリンが立派なリーダーであるというイメージと同時に、子供にもやさしい父親的な面ももっている親近感の沸けるリーダーだというメッセージを国民に伝えようとしているのが分かります。たしかに抽象絵画では、このような具体的なメッセージはかけませんね!(^^)

しかし、皮肉なことに抽象主義の表現もアメリカ政府によって政治のために使われてしまいました。アメリカは民主主義、自由を唱えます。「アメリカでは、こんな自由な表現が許されるんだぞ!」とアメリカの宣伝に使われてまったのです。"

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27 1 / 2012

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 「髪の毛で内部被曝(ひばく)の状態がチェックできる」という検査が、福島県内の幼稚園や保育園で広がっている。内部被曝量は毛髪では測定できないが、検査業者は「被曝だけでなく、がんや心の悩みもわかる」と説明。昨年夏以降、500人以上が受けたという。民間の保育園でつくる日本保育協会福島県支部は詐欺の疑いもあるとして、注意を促す通知を出した。

 この検査は、東京都内のペット用品業者が設立した「日本QRS健康管理協会」を窓口に、超音波検診を行う「生理科学研究所」などが、1人当たり8400円で請け負っている。

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27 1 / 2012

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(5)リアルがしんどい人はネットを(ソーシャルメディアを)どう使えばいいの?
ひと昔前のネットって、リアルがしんどい人の避難所であったり、違った自分を見つけたり見つけられたり、または作ったりする場所としても使うことができたと思います。「ネットを使いこなすにはどうすればいいのか?」という質問に、1/3ほどは冗談ながらも「リアルで行き詰まればいいです」と答えていたものです。

しかし、現在は流行のソーシャルメディアはどれも「リアルのログをネットに晒せ」が基本であり、そういう使い方が難しい。じゃあGREEとかmobageなのか? というのもどうなんだろう。Pixivとかニコニコ動画とか、そういう趣味性の強いサイトに行けばまた雰囲気が違うんでしょうか。

といったところで、大予想というか私の興味があるネタなんですが。

企業や力のある側の意志で動いている感の強い昨今のソーシャルメディア界隈を、ユーザーの手元に引き戻すことを考えるべきではないか、ということを思う今日このごろながら、そもそも自分がろくにソーシャルメディア使っていないだろうというところに現在の限界があって、少しずつ手を進めていこうと思います。

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27 1 / 2012

"これを読んで私が受ける印象は、「上手な人を見てガーンとなったけどそれでも描くのがやめられない」人でもなければ「描くのが楽しくて描くなと言われても描き続ける」人でもない。
こう言っちゃなんだけど、「絵をきっかけにして誰かに認めてもらいたい」だけで、そのときの「絵」は、「文章」でも「キーボード」でも任意に交換可能なものでしかないんだと思う、この人の中では。
 
でまあ、「絵」なり「キーボード」なりがお手軽承認欲求のツールでしかないこと自体が、悪いとは思いませんよ?
絵にしろ音楽にしろ、プロとは別の次元で楽しんではいけないってことは全然ない。
これ、よくスポーツマンガである「楽しむことが目的のチームがあっちゃいけないか」問題だよね。
 
で も、自分でも書いてる通り、中途半端な承認欲求を満たしたいときに、「インターネット」なるもの全体を相手にして”今のインターネットも上級者しかいない ゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。”と言ってしまうのはやっぱり「上のステージをフォーカスして」物を言っているように思う。
「中途半端な努力」で得られる承認の数は、傍に上級者がいようがいまいがさほど変わらない。多分。
どちらかというと、「中途半端な努力でも承認してもらえる」仲間の見つけ方、この人に必要なのはそちらの方かも知れない。"

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27 1 / 2012

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ブログからソーシャルネットワーク、さらに新世代アプリへと、ソーシャルメディア上の情報共有は進化をとげている。サービスによって紆余曲折があり必ずしも線形的ではないが、情報シェアリングのトレンドには次の3つの方向性があると言えるだろう。

  1.  ストリームベース(文章など)から、オーガナイズドフォーム(ボタンなど)へ
  2.  ピープル・セントリック(人をフォロー)から、トピック・セントリック(興味をフォロー)へ
  3.  フロー型(情報が一時的に流れる)から、ストック型(情報が系統だてて蓄積される)へ

 

去年1年間でトラフィックが40倍になったことで注目される新世代ソーシャルメディア Pinterest はまさに典型例で、これから3つのトレンドをすべてカバーしている。つまり、よりシンプルなアクションで、効果的にセレンディピティを創出し、コレクションとしての実用性も合わせ持つサービスに仕上がっているのだ。そしてこれらのトレンドのうち、 Aの延長上にあるのがこの記事のテーマである Fictionless Sharing、摩擦のない情報共有だ。例えば Pinterest は新世代のブックマークサービスだが、以下の点で既存サービスを凌駕している。 

  1.  情報発見の効率性 … 文字ベースでなく映像ベースのため、認知速度が格段に早い
  2.  情報登録の効率性 … シェアしたい情報を、テキスト不要、2〜3クリックで登録できる
  3.  出会いの効率性 … シェア情報の元情報(シェア元やURL)をたどり、同好の人々と出会える 

 

Frictionless Sharing を狭義でとらえると 2 の「情報登録の効率性」が、さらに広義でとらえると1〜3の「発見、登録、出会いの効率性」がキーとなる。ここでは狭義で考えてみよう。オンライン上には、一次情報としての「Webコンテンツ」と、二次情報としての「他人がシェアしたコンテンツ」がある。このうち、前者はブックマークレット、後者はシェアボタン(Like, Retweet, Repinなど)をクリックすることで情報がシェアされるが、これをいかにシンプルな操作で実現するかがポイントということだ。ただし、これらは新しい着想ではない。例えばPinterestのようなページ内の一部情報を抽出するタイプのブックマークレットは、2005年に登場したKaboodle が実現していた機能である。したがって新世代のソーシャルサービスにおいては、次の2点の付加価値がさらに重要になるだろう。

  1.  シームレスな情報登録の効率性 … オンサイトは当然のこと、外部サイト、さらにリアル世界でも単純操作でシェアが完結する
  2.  シンプル操作による思考の効率性 … 機能をシンプルに絞り込むことで、 1〜4 までを流れるように操作できる

 

4においては、(1)Facebookのようなオンライン情報におけるアクションを自動識別して投稿する仕組み、さらには (2)オフライン情報(近況、写真、動画、場所など) を認識装置(スマートフォン、タブレット、RFIDカード、生体認証装置など)を利用して簡単に投稿できる仕組みが重要となる。実社会のあらゆる情報がクラウドに取り込まれるビッグトレンドの中で、今後はモバイル装置以外にも、さまざまな電子機器、さまざまな読取装置、さまざまな生体認証装置、さまざまなデータ送信装置からの自動的な情報共有に注目が集まるだろう。

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27 1 / 2012